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きっかけ |
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私は、5年前に木原秀成先生とのご縁をいただき、CMF国際大学の「運命創造学」を学びはじめ、「先祖果調べ」をしたり、今の自分の人生は「先祖返り」をしているという講義を繰り返し学び、毎日の供養や毎月の供養をさせていただいたり、毎年お四国遍路も行かせてもらっています。そして、深くご先祖のことを知るために、詳しく家系図を作成しようと決意しました。
まずは、以前父の法事で、父や父のいとこも家系図を作成していたこと、叔母もお墓を調べたりしている話を聞いていたことを思い出し、一年ほど前、普段はあまり行き来をすることがない呉の叔母(祖父利夫の妹・三女)を訪ね、今まで知らなかった永山家の流れをいろいろと教えてもらうことができました。
叔母もお四国遍路をしているので、その話で盛り上がっているとき、ふと思い出したのです。
それは、以前(12年前)、地域で発行している広報に『永山』という人のことが書いてあった記事のことでした。とても親近感を覚え、偶然にもとっておいたのです。
そこからも生命のルーツが解り、この度家系図作成の大きな進展をみました。 |
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永山家は大分から広島へ移住 |
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永山大学信楽という人の流れが解り、その大学が剣術などを教えていたと思われる道場跡を示す石碑が残っており、永山大学信楽とその妻、その子通重信清の墓が残っていることが解りました。
また、近くにお社があり、剣やかま等、剣術に使ったと思われる物が納められているというのです。
永山家には、以前納屋があり、たくさんの剣やなぎなた、鎖かま等が残っていたことを母から聞いていましたので、ここで大学とつながりました。
今後また、石碑のある所や墓石のある所へも叔母と共に行こうと思いますし、この記事を書かれた方にぜひ会って話をお聞きしたいと思っています。
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永山家は武家 |
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永山の「永」という字を使うのは、武家のみであることもわかり、家系を辿っていくと、氏族に嫁いでいる人がいたり、また武家から嫁に来ている人がいたことも明らかとなりました。
障害を持って生まれてきている子も多く、祖父の兄弟七郎の子、繁子の子、父の姉の孫、そして父の孫といました。
がんで亡くなっている人も多い家系であることが解ってきました。
今から4年前の平成15年、木原秀成先生から接心を受けた内容が、家系図を作成していくうちに、つながってきました。 |
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長男が家督を継いでいるのだが・・・ |
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祖父利が急死したため、長男である利夫が家督・家業を継がざるを得ない状況となり、仕事での昇進を目前にして退社となりました。
利夫の長男(夫)も、大阪の大手企業に就職をしていたのですが、父利夫が急死したため、やむなく退社し、家に戻ってきました。二代にわたり、同じ状況が続いています。
その長男、私の息子も東京で就職が決まり、家を出ていましたが、今年になって、精神的弱さと人間関係などに追い込まれ、仕事ができる状態でなくなり、会社から長期休養を出され、実家に戻って退職をいたしました。
父や夫との状況とは少し違いますが、三代にわたり、突然家の跡取りとして、打ち込んでいた仕事を断念せざるを得ない状況(中途挫折が続いている)が起こっています。 |
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ご供養が通じたとき道は開ける |
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家系図の作成が進み、いろいろ解り始めた今年二月、それまでは、私が学んで、供養をさせていただけばよいと思っていたのですが、学んでいるうち、一人一人受け継いでいるものが違うと解り、娘に家系の話をしたところ興味を示し、自分を知りたいと、CMF国際大学(座主 木原秀成が学長)の本科Tを受講することになりました。息子も同様です。
子どもたちには以前から、本科の話はしていたのですが、全く興味を示すこともなかった二人が、行ってみようと思えたことは、家系図を作成して、次々とご先祖のご供養をさせて頂いたことが通じたからこそと思っています。
そして、二人が先祖果調べで読み合わせたのは、長男は中途挫折、長女は水子のところでした。
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長女のご縁 |
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長女は受講後、ありがたいことにご縁をいただくことができました。実は、長女は、永山の母とうりふたつと言われるほど顔かたちやしぐさまで似ています。
母方の大判家には、主人の弟が養子縁組をして家系を継いでいます。
せめて水子の供養だけでもと思い、義妹もしばらくは続けていましたが、家系の浄化が大切と、戸籍を調べようという話をした矢先に、その気がなくなり、ぷっつりと縁が切れてしまいました。
その後に、長女に縁がつながったので、これから何かわかるのではという気がしています。
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次男の体験 |
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そもそも私が運命創造学を学ぶことになったきっかけは、次男が夜になると夢遊病者のように歩き回ったり、何かがみえるという現象があったからです。
ご縁をいただき、水子の供養を始めるとぴたりとおさまったのです。まさに水子の霊障であり、これに気づけなかったらと思うと、木原秀成先生とのご縁に感謝でいっぱいです。
その子は今、大学生になりました。場所によっては、何かを感じるようですが、今年は、一緒にお四国をまわることができ、「何か心のつかえがとれたような気がする」という体験をして帰りました。 |
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楠田家 |
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私の実家の楠田家は、お寺・神社とのかかわりが深く、総代の役を代々勤めていたところから、私も小さい頃、祖父や父とお寺参りや神社に手を引かれ行くことが多かったことを覚えています。
父との縁が一番深いのが私であることも意味があるように思います。 |
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取り嫁・取り婿家系 |
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永山家同様、家系が弱いことは、楠田家にも当てはまります。
楠田家は、取り嫁・取り婿からなる家系です。
曾祖父房次郎は養子で、5人の男子をもうけていますが、家督は三男敏一が継いでいます。 |
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家督は三男が継ぐ |
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二回結婚をし、一人目の妻千江とは、三人の子をもうけていますが、幼少にして病弱のため、三人とも亡くしています。千江も三人目の子を産み落とし亡くなっています。
二人目の妻には二人の子が授かりますが、長男は亡くなり、私の母である長女が養子をとって家を継がせています。楠田の家系は、長男が継いでおらず、また、養子によって家系が引き継がれています。
また、水子、幼没の多い家系であることがわかり、私の姉にも水子、私にも水子がいます。 |
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家系は引き継がれる |
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長男である弟は、家系を継ぐ立場にあり、結婚はしたものの、子供が授かっていません。幼い頃から線の細い弱い子だとは思っていましたが、楠田家が取り嫁・取り婿で始まっている家系だけに、このままだと授からない可能性が大きいように思われます。
父の実家(門井家)は、保証人となったことで騙され、土地・家屋ともに人手に渡ってしまっており、接心の時に、門井家のご供養のことも言われていました。
一生懸命調べて明らかにしていきたいと思った時、本当に向こうからそのことが頂けることをこの度、実感させていただきました。
ありがとうございます。
合 掌 |
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