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2001年
12月頃 |
●木原秀成先生から
一座供養のご指導 |
「一座供養をした方が良い」と指導をいただくが、そのままにして実行に移さなかった。
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2002年
3月23日
23:00頃
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●福岡へ出張
●突然の頭痛と左腕の
麻痺
上司に携帯で連絡
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今まで経験したことのない身体の異変に怖さを感じ、上司(ISC会員の楠葉正子さん)に携帯電話で連絡。
状況を話そうとするが、ろれつが回らず「頭が割れるように痛い、左側が麻痺している」という言葉も伝わらない。 |
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●木原秀成先生に状況
が伝わる
●救急病院に搬送
ISC会員の大浦
公子さん付き添う |
【木原先生霊視】
強度のストレスと頭(右)に異常があり、半身が麻痺している。
病院に運ばれた時は、本人の意識はあるが、だんだん様子がおかしくなり、うわ言のように「お願いをお願いします」「どうして」とわけのわからない言葉を発し、大浦さんすらわからない状態に陥る。
オカルト映画のように、看護師を含め7人掛かりで取り押さえても、信じられない力で逃げだそうとして暴れる。
暴れては静まりが定期的に起こり、大浦さんは一晩付き添う。 |
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豊田さんのうわごとを書き記した帳面。豊田さんは母親を「おかあちゃん」と呼ぶのに、うわごとでは「おかあさん」。また、頭が痛いはずなのに「おなかが痛い」と言っている
【クリックで拡大】
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24日
正午頃 |
●上司の楠葉正子さん
福岡に到着
対面しショック |
顔つきがいつもの顔ではなく、オカルト状態は続いている。
病院側も困り果て「これ以上は、精神科に移っていただかないと」と言われるが、木原先生が来るまで待って欲しいと懇願し、医師たちも「自分たちでは手の施しようもない」と、すべてを木原先生に委ねることになる。
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| 18:30頃 |
●木原先生病院に到着
●除霊開始
いつ終わるとも知れない
死闘が始まる
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到着してすぐ先生は、袈裟と数珠を持ち、何も言われず豊田さんの首に数珠をかけ、暴れる本人と取っ組み合いをしながら、御真言や時には別人格者へ「逃げてもいけん」「よけい苦しむだけじゃが」「心配せんでもええ」と叫ばれる。
除霊の行法では、火を焚かなければならないが、病室では無理なので、カメラのフラッシュを火の代わりにする。
※その時写された写真 |

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| 21:00頃 |
●刀のかわりのカッター
ナイフで除霊 |
いつ終わるともわからない戦いが続いて2時間半。先生が刀の代わりのカッターナイフで除霊をされる。
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| 21:30頃 |
●3時間の壮絶な戦い
が終わる
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「あっ先生」と、意識が戻り言葉を発す。
詰め所の看護師たちは、その変わりように驚きを隠せない状態。本人は、それまでのことを全く覚えていない。
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| 22:00頃 |
●木原先生病院を後に
される |
【木原先生の霊視】
刃物をふりかざしていた時に、着物を着た女性が出てきた
頭が割れるくらい気が低迷している時チャネリングしたもの
(縁のある方なのかどうかは、未だに不明・・・本人談)
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| 23:00頃 |
●母親が広島から到着
●検査開始
●母親が手術に同意
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ようやく検査ができる状態になり、診断は右側の「脳動脈瘤破裂」。即刻、緊急手術の手続きが取られる。
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3月25日
00:00頃
4:00〜5:00
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●緊急手術開始
●手術終了
ICU(集中治療室)
へ入る
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通常であれば、8〜10時間はかかる手術が4時間で終了。
意識が戻ってから主治医の先生に、「頭蓋骨を開け、23針縫うという大変な手術で、出血の量と運ばれてきた状況をみた時、とても今、何の後遺症もなく、命があることが奇跡的な事だ」と言われ、事の重大さに驚くばかりだった。 |
4月中頃
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●一般病棟へ移る
●一座供養の申込をし
翌日腫れがひく
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出血による腫れが何故かひかず、退院が延びる。
必ず一座供養をさせていただくことを誓い申込をする。
翌日これまでが嘘のように腫れがひく。
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●無事に退院
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身体に障害を残さず、無事に退院。 |
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●お四国遍路の旅参拝
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毎年恒例のお四国遍路の旅に、奇跡的に参加。 |