供養会員のご案内


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夢に何度も現れ
 
四国徳島へのお墓参り
 
家系図作成にあたり明らかになったこと
 
死からの生還
 
子供の問題は親に原因がある
家族と供養することになって
生理不順が加持療法で解消
懺悔行の実践
家系の因果応報が運命にあらわれた悲劇としか思えない
偶然は何一つない
遠隔お加持を頂いて
発症して5年進行していない乳ガン
       
 


 
 
豊田二三枝(広 島)
 
       
     
     
  2002年3月23日午後11時ごろ。
仕事で福岡に出張していた豊田二三枝さんは、突然の身体の異常を感じます。これまで体験したことのない頭痛、そして左半身の痺れ。
ただならぬ状況に、すぐ携帯電話で広島の上司に連絡をしますが、言葉がうまくしゃべれない・・・。
その時、豊田さんの脳動脈瘤は破裂していたのです。
さらに霊の憑依現象に襲われた大変な状況を、当時、病院で立ち会われたISC会員の楠葉正子さん(上司)と大浦公子さん(福岡の会員)の証言から抜粋しています。
また、その後家系図を調べるうちに古い新聞が見つかり、なぜ福岡で倒れたか謎が解けたとの報告をいただきました。
 
時 間 プロセス 状     況
2001年
12月頃
●木原秀成先生から
  一座供養のご指導
「一座供養をした方が良い」と指導をいただくが、そのままにして実行に移さなかった。

 
2002年
3月23日
23:00頃
●福岡へ出張
●突然の頭痛と左腕の 
  麻痺
  上司に携帯で連絡

今まで経験したことのない身体の異変に怖さを感じ、上司(ISC会員の楠葉正子さん)に携帯電話で連絡。
状況を話そうとするが、ろれつが回らず「頭が割れるように痛い、左側が麻痺している」という言葉も伝わらない。
  ●木原秀成先生に状況 
  が伝わる


●救急病院に搬送
  ISC会員の大浦
  公子さん付き添う
【木原先生霊視】
強度のストレスと頭(右)に異常があり、半身が麻痺している。


病院に運ばれた時は、本人の意識はあるが、だんだん様子がおかしくなり、うわ言のように「お願いをお願いします」「どうして」とわけのわからない言葉を発し、大浦さんすらわからない状態に陥る。
オカルト映画のように、看護師を含め7人掛かりで取り押さえても、信じられない力で逃げだそうとして暴れる。
暴れては静まりが定期的に起こり、大浦さんは一晩付き添う。
  豊田さんのうわごとを書き記した帳面






豊田さんのうわごとを書き記した帳面。豊田さんは母親を「おかあちゃん」と呼ぶのに、うわごとでは「おかあさん」。また、頭が痛いはずなのに「おなかが痛い」と言っている
       【クリックで拡大】
 
 
24日
正午頃
●上司の楠葉正子さん
  福岡に到着
  対面しショック
顔つきがいつもの顔ではなく、オカルト状態は続いている。
病院側も困り果て「これ以上は、精神科に移っていただかないと」と言われるが、木原先生が来るまで待って欲しいと懇願し、医師たちも「自分たちでは手の施しようもない」と、すべてを木原先生に委ねることになる。
 
18:30頃 ●木原先生病院に到着
●除霊開始
  いつ終わるとも知れない
  死闘が始まる
到着してすぐ先生は、袈裟と数珠を持ち、何も言われず豊田さんの首に数珠をかけ、暴れる本人と取っ組み合いをしながら、御真言や時には別人格者へ「逃げてもいけん」「よけい苦しむだけじゃが」「心配せんでもええ」と叫ばれる。
除霊の行法では、火を焚かなければならないが、病室では無理なので、カメラのフラッシュを火の代わりにする。

※その時写された写真


 
21:00頃 ●刀のかわりのカッター
  ナイフで除霊
いつ終わるともわからない戦いが続いて2時間半。先生が刀の代わりのカッターナイフで除霊をされる。
 
21:30頃 ●3時間の壮絶な戦い
  が終わる
「あっ先生」と、意識が戻り言葉を発す。
詰め所の看護師たちは、その変わりように驚きを隠せない状態。本人は、それまでのことを全く覚えていない。
 
22:00頃 ●木原先生病院を後に
  される
【木原先生の霊視】
刃物をふりかざしていた時に、着物を着た女性が出てきた
頭が割れるくらい気が低迷している時チャネリングしたもの

(縁のある方なのかどうかは、未だに不明・・・本人談)
 
23:00頃 ●母親が広島から到着
●検査開始
●母親が手術に同意
 
ようやく検査ができる状態になり、診断は右側の「脳動脈瘤破裂」。即刻、緊急手術の手続きが取られる。
 
3月25日 
00:00頃


4:00〜5:00
●緊急手術開始



●手術終了
  ICU(集中治療室) 
  へ入る
 
通常であれば、8〜10時間はかかる手術が4時間で終了。

意識が戻ってから主治医の先生に、「頭蓋骨を開け、23針縫うという大変な手術で、出血の量と運ばれてきた状況をみた時、とても今、何の後遺症もなく、命があることが奇跡的な事だ」と言われ、事の重大さに驚くばかりだった。

4月中頃
●一般病棟へ移る

●一座供養の申込をし 
  翌日腫れがひく

 
出血による腫れが何故かひかず、退院が延びる。
必ず一座供養をさせていただくことを誓い申込をする。
翌日これまでが嘘のように腫れがひく。
  ●無事に退院
 
身体に障害を残さず、無事に退院。
 



●お四国遍路の旅参拝




毎年恒例のお四国遍路の旅に、奇跡的に参加。
 
 

 
 
  祖父が掲載された新聞記事  
     
  あの脳動脈瘤破裂から、四年が経ちました。今、私は仕事上の都合で、広島から福岡博多に単身赴任し二年目を迎えます。

私の父は19年前に、私と同じ脳動脈瘤で亡くなっています。「起こることに偶然は何ひとつない」と教えていただいていますが、病名が同じだった事だけでなく、福岡という地で倒れたという事も、決して偶然ではなかったという事がわかったのです。

私の祖父が、福岡で亡くなっていたという事は以前から知っていた事なのですが、その事が当時の新聞に掲載されていたものを、山口市の本家から7〜8年前にもらって帰っていたのですが、その記事がどうしても見つからないままだったのです。

ところが、今年に入って額に入った新聞記事が、広島の実家から出てきたのです。その記事を改めて読み返してみると、祖父である音松は山口から福岡に分家し、福岡市立病院にて死亡した事が示してありました。
 
 
 





祖父音松さんが全国でも珍しい天然痘で亡くなったことを伝える新聞の記事。
福岡に分家しており、発病の時、妻は母の実家に赴き不在であったことも伝えられている。
         
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  一人で逝った祖父音松  
     
  福岡在住であった事を、この時初めて知ったのです。又、仕事で福岡の飯塚市から筑豊の炭鉱があった場所を通った時、初めて来たはずなのに、不思議と懐かしさを感じたことがありました。

幼少の頃、祖母からよく炭鉱の話を聞かされた覚えがあり、内容は覚えていないのですが、ここの事だったのかもしれないと思わずにはいられませんでした。
祖父音松は昭和10年33才で、福岡で亡くなっていますから、私は写真すら見た事もなく、息子である父は祖父とわずか10才で死に別れているのですから記憶もなく、父から祖父の事を聞いた事は一度もありませんでした。

新聞記事を読みながら、祖父が亡くなった時、祖母も父もそばにおらず、たった一人で死を迎え、寂しかったのではないかなど、改めて様々な事が頭に浮かび、今までとは違った想いで、今年はお盆を迎え、祖父の供養をさせていただいた様に思います。
 
 
 
 
  ご先祖供養の大切さを痛感  
     
  四年前の脳動脈瘤破裂以来、何の由縁もない福岡で仕事をしていると思っていたのは大きな間違いで、この地で今尚、仕事をさせていただいている事も偶然でなく、先祖の想いは、こうして時間や空間を超えてでも、私たち子孫にその存在を知らせてくるのだという事を、改めて感じさせていただくと同時に、だからこそご先祖供養がいかに大切かという事を、この体験談を書かせていただきながら、痛感しています。


祖父が福岡の地にどれくらい住んでいたのか今となってはわかりませんが、きっと周りの方々にお世話になったにちがいありません。

私も今、長年住み慣れた広島、そして家族と離れ、家族以上に福岡の法友の方々や、仕事を通じて色々な方にお世話になっています。

今いるこの場で、何が出来るかを考えた時、やはり木原先生が提唱されている『魅力ある国づくり・新しい人づくり(ISC地球運動)』にどれだけ貢献できるかだと思います。

その事が、祖父の最大の供養になると確信しています。
 
     
 
 
 
 
  壮絶な戦いに立ち会って  
  豊田さんに付き添われたお二方から一言  
     
   大浦公子

かつて、私の父が豊田さんと同じような状態になり、ある病院でご迷惑をかけたことがありますが、憑依現象だといくら説明しても理解をして頂けずに、転院させられた辛い思い出があります。

豊田さんが木原秀成先生の法を学び実践をされている方であったからこそ、先生の超多忙なスケジュールを割いてまで、飛んで駆けつけて命がけの除霊、お加持療法をされ、霊障との修羅場から救い出して頂けたのだと思ます。
先生は、いつも命がけで私たちのご先祖供養や、生き方をご指導下さっていることを、改めて痛感させていただきました。

霊障の恐ろしさを知らない方が、たくさんいらっしゃると思います。豊田さんの体験を通して、一層先生の暖かさ、身近にいてくださることへの感謝を絶対に忘れないように、また、足りてないからこそこの体験をさせていただいた事に感謝し、ご恩返しできるような実践をさせて頂きます。
 
 
 
 
   楠葉正子

見えない世界が大半を握っているということが、現象面に現れたのです。もしもご縁がなければ、受け止めることさえできなかったでしょう。

脳動脈瘤破裂は、倒れたときにそのまま死亡、また八割の人が運ばれる途中で死亡。一命をとりとめても言語障害に半身麻痺、リハビリに早くても2年半はかかると言われる恐ろしい病気なのですから。
今思えば、動脈が破裂し出血していたのに、一中夜あれだけ暴れていたにもかかわらず、今があることが信じられません。また想念というものは、肉体なき後もこの空間に存在し憑依するという現実をあからさまに見たのですから、恐ろしいの一言につきます。

木原秀成先生は見えない世界が見えておられ、また除霊のお力も持っていらっしゃるのですが、決して不死身ということではありません。命をも奪うくらいの想念でぶつかってくるのですから、想像を絶するものであり、凄まじいまでの壮絶な戦いです。
だから師ご自身も命がけで臨まれたということです。

この度の事を通じて、自分が受け継いでいる先祖想念の恐ろしさや、想念の浄化の必要性、人としての生き方、またそういう想念とチャネリングしない生き方を、だからこそ真剣に伝授してくださっているということを、怖いほど再認識させられました。
  とにかく師のお陰で奇跡的に一命をとりとめ、元気になった豊田さんの姿は、何よりも「ありがとうございます」であります。
 
 
     
     
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